”伝える”ことが人間関係や社会生活の基本だし、中心にある。
そう思うんです。だからこそ、上手く伝えられる人は多くを得て、あまり伝えられない人、伝えるのが苦手な人はその部分で一歩遅れを取ることがあります。
脱底辺を目指すには、伝わりやすい表現を身に付けておくのはとても大切なんじゃないかな?と思うんです。
誤解のないように言っておきますが、伝え下手がダメってことはないと思います。伝えたい事はいずれ伝わりますし、伝わる人には伝わりますし、それでいいとも思うんです。
ただ、そのうえで、「伝わりやすくするには?」を解決するための知識を持っておいて、必要ならそれを駆使するという選択の幅を広げるために、こうしたほうが良いんだろうなってことを。
伝わりにくいを変えるためには…
伝わりやすくするための1つの意識
相手に何かを伝えるときのコツとして、こんなことをよく言います。
- 中学生にも伝わるように意識する
中学生にも伝わるなら、多くの人にもちゃんと伝わる。でも、その層にイマイチ伝わらないなら、難しくて理解できないって人が多いかもしれないよってことを伝えるアドバイスです。
つまり…
- めちゃくちゃ簡単に
これを意識することが、伝えたいことを伝えるためのコツとなります。
簡単は意識しているが…
簡単にしたほうが良いってのは分かってるし、そうしているつもりだ。でも、伝わらない。
そんなじれったい思いをすることもあるとは思うんです。ぶっちゃけ、全員が全員の理解を得るというのは目標設定としてかなりハードルが高いと思います。
100人に伝えて90人に伝われば十分だと思います。そこを100人中100人に伝わるように…って考えると、難易度が高すぎて、実現するのは難しいと思います。
でも、100人中20人や10人にしかわからない表現を用いて「全然伝わらないな・・・」って悩んでいるなら、そりゃそうだよって事を言いたいわけです。
難しいことに価値を置く価値観を弱める
僕もそうなのですが、上手く伝えなきゃ、正しく伝えなきゃって考えれば考えるほど、どんどん難しく表現するようになるんじゃないかな?と思うんです。
上手く伝える、正しく伝えるって意識はとても良い事だと思うんですが、その意識の向かう先が…もっと難しく、もっと斬新で、もっと新しいものを!ってなると、どんどん分かる人が少なくなります。
でも、そういう方向に進むことって多いんじゃないかな?と思うんです。
説明をする。ちゃんと詳しく伝える…と意識するほど、細かく細部まで…って意識が強くなってしまいます。
勝手な解釈ではありますが、これって学校時代の名残だと思うんです。細かい事や難しいこと、一部の人にだけ分かることには価値がある。それを理解していることを褒められたという経験があると、
- 伝えることを通して褒められたい→難しい事や細かいことが不足している?
そんな発想になるんじゃないかな?と思うんですね。
確かに難しい事などには学問的な価値はありますが、コミュニケーションとして価値があるのは”伝わる”という結果であって、”伝わらない”という結果を導く要素は価値がありません。
シンプルさが生む成功例
シンプルになると成功する
僕たちの周りにあるもの、特に生活に浸透しているものって、”簡素化”されたものが多いと思うんです。
逆に言えば、簡素化されてなければ生活に浸透しません。
簡素化するということが、多くの人が受け容れてくれる上での本質部分だと思うんです。
例えば次のようなものは、簡素化されているからこそ生活に浸透しています。
自動車
自動車を運転する。
その行為そのものも具体的に見れば複雑な判断と動作の組み合わせではありますが、ハンドルとアクセルとブレーキだけで自動車という乗り物を動かせるようにシンプルに設計されています。
ただ、アクセルを踏むとなぜ加速してくれるのか…というメカニズムを分解していけば、とてつもなく難しい技術がそこに結集しています。
しかし、そういう難しい部分を理解していなくても、「アクセルを踏めば加速する」というシンプルな動作に落とし込んでいる。ブレーキを踏めば停まるし、ハンドルを回せば曲がるし。
シンプルな動作で動かせるから多くの人に浸透しています。
そういえば、今はオートマ車が普通になっていますが、これも簡素化した事例の1つですよね。
昔はミッション車という、ギアを自分で操作するのが運転のスタンダードだったのが、そのギア操作を機械任せにすることで、ギアを操作しなくても車を運転できるようにしたのがオートマ車です。
そのオートマ車のおかげで、より一層多くの方が車に乗りやすくなりました。
簡素化することで受け容れやすくなります。
スマートフォン
スマートフォンも最たるものかもしれません。
スマートフォンが登場したことでモバイル関係は一気に進歩しましたが、このスマートフォンが浸透する先駆けとなったのはやはりiPhoneの登場です。
技術や概念そのものはすでにありましたが、iPhoneが「シンプル」をとにかく前面に出したことで、スマートフォンという概念が受け入れやすくなったと思います。
今はなくなりつつありますが、登場当初はホームボタンというものがあり、そのボタン1つでいろいろな操作が実現可能、パソコンのマウスのようにクリック感覚で端末操作ができるし、端末はノートパソコンのように色々な事ができる。
そういう触れ込みで一気に浸透していきました。
余談ですが…
少し上に書きましたが、スマートフォンの概念そのものはiPhone前にすでにありました。
ブラックベリーが多分世界市場をはじめに席巻したスマートフォンだと思うし、タッチパネルで端末操作するというやり方もiPhoneが初めてではありません。記憶では、銀行のATMなんかはずっと前からタッチパネルで操作していましたから、技術はすでにあったのです。
iPhoneが受け容れられたのは、”簡単”や”シンプル”を前面に出したからです。
ボタン操作一つで全てが操作可能ですよ。端末は画面と1つのボタンだけです。簡単でしょ?ってな感じで発表したことによって、「すごい!」という反応を生み出しました。
でも、技術や概念そのものが斬新だったわけではありません。伝わりやすく伝えたから受け容れられたのだと僕は思っています。
だから…
シンプルにしたからこそ、受け入れられます。
ふと思ったのが、僕はシンプルさの象徴だと思っているのがハサミです。長年あの形状から進歩していないように思います。紙を切るための文房具で、使い方は握るだけ。軽く握って持ち、握り込めば刃の部分が挟み込む。その挟み込みによって紙が切れる。
一度使い方を理解すれば一生使い方に迷うことがないシンプルであり完成された道具です。
すべてシンプルです。だからこそ受け入れられ続けているのだと僕は思っています。
シンプルに、簡単にすればするほど、相手に受け容れてもらいやすくなります。
言葉も会話も同じなんだと思います。伝えたい事をシンプルにシンプルにすることで、多くの人に受け入れやすくなります。
時には受け容れてもらう事より、理解してもらうことが重要な場面もあるかもしれません。そういう場面では多少難解になる説明が必要かもしれませんが、それでもその中ででも簡単にシンプルにする表現の工夫をすることが、伝わりやすさを助けてくれることになると思います。
この記事だと言いたい事は冒頭にすでに書いていたりします。それ以上のことは書いてません。おまけのようなことを書いているにすぎないとすら思ってます。
でも、言いたい事は伝わっているんじゃないかな?とも思うんです。冒頭にシンプルな結論を先に出していますので。
伝わったから、「なるほど」とか「そうかな?」という感想を持ってもらえることになると思うし、少なくとも「何言ってんの?」とはならないと思うんです。
言いたいことが伝わるから、相手からそれに対する反応を得られます。コミュニケーションの内容が前進したので、コミュニケーションとしては成功かなって思うんです。
ちなみに、恋愛における告白において最も成功率が高い告白セリフは”シンプル”だというデータも出ていたりします。
上手く伝わらず、理解してもらえずに今の状況を変えることに苦労しているのなら、伝わりやすく伝えるために、もっとシンプルに簡単にならないか?という工夫をしてみるってのが大切なのかな?なんて思います。
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